茨の森に 眠りし姫は…  〜 第一部 後編 波の随に side


        




 冬休みの学生層の動員を当て込んでの新作、公開されたばかりの映画の舞台挨拶への移動中、とんだ事故に巻き込まれてしまい、さあこれから売り出すぞという出端を挫かれた悲劇もて、重傷負ったその存在は あちこちのマスコミを経て一気に知名度を挙げかけていたのだけれど。

 “……せや、入院期間もえらい短かったワケやんかなぁ。”

 まま、引き取られた先に、勝手のよぉ判ってはる主治医の先生も同居してはることやしと。そこまでの事情通な身を、こたびばかりは少々恨みつつ。ある意味では非常に劇的な一幕を披露して退院した、某若手俳優のKさんのその後についてを、つい思う。

 “突飛なことぉするお人やいうのんは、
  前世でもようよう判ってたはずやのになぁ。”

 それにしたかて茶番が過ぎると。あまりにわざとらしい段取りを組んだ彼の人へは、ただただ呆れ返るしかなかった良親であるらしく。とんでもない展開となったらしいという話、しかも…選りにも選って素人さんから聞いたというその動転から、今は何とか落ち着いた彼ではあったものの、世間様的にはまだまだほんの昨日の出来事であり。ここからどう転んで どう扱われる話題になることか。世間一般の視聴者、それも噂話大好きな向きの方々におかれましては、様子見の状態にあるこの話題、その舵を誰が取るかにも興味津々といった頃合いか。水面下では早々と、身寄りのなかった某くんの生き別れになっていた実の親が名乗りを挙げた説などが取り沙汰されてもいるらしかったが、

 “後難恐れるあまりに 誰〜れもいじらんことで、
  このまま闇に葬られるて運びに…なるんやろなぁ。”

 何しろ、よくも悪くも年末のこの時期だ。離婚や決別のマスコミへの発表をこの時期に持ってくる芸能人が多いよに、テレビ関係は特番制作に追われ、雑誌やスポーツ紙関係は印刷所の締め切りに追われてのこと、マスコミはこぞって手が塞がる時期であり。年末年始の10日ほどというインターバルを挟むことで、どんな出来事もその印象は格段に薄められてしまうもの。殊に、今回の話題の場合、その主役に当たろう少年がまだ未成年だということもあり、その滞在先を広く公表されるということはなかったので。このまま、人々の関心からも遠のいての自然消滅へ運ぶよう、持ってく術がないわけでもない。そこへと展開されたのがこたびの騒ぎだったワケで。

 “……せやけど。”

 あの元・軍師が執った策は、見るからに派手で乱暴な手立てではあったれど。案外と、最も判りやすくて誰へも後腐れのない代物であったのかも知れぬと。今現在の良親殿、実はそんな理解を寄せかかっていたりもする。あの手の恐持ての関係者では、マスコミ各社、報道陣の面々も、後を追わなくたって非難はされぬ。山ほど押し寄せていたカメラの前で、怖がりもせぬまま、むしろ堂々とお迎えへと応じた少年だったのは明白で。病院の関係者に訊いても、不審な齟齬なぞ出なかろう。となれば、刑事事件になるような略取にもあたらず。道具立てこそ白皙の美少年には最もそぐわぬ おっかない人たちを揃えてはいたが、起こったことはといや…何処にも一切問題のない“単なる退院とそのお迎え”に過ぎないわけで。

 “むしろ、曖昧に姿を消してはったなら、
  関係各所のあちこち、不躾にもつつかれてたかも知れへんし。”

 そうとなったら、ずるずるといつまでも迷惑かけまくるだけかも知れぬ。このまま世間からは身を隠すこととなっても構わないと、それでいいと見切った上での英断ならば、いっそのこと…誰にも文句は言わせぬという ゴリ押し通したこたびの運びは、むしろ大正解だったのかもと。昨日の困惑が一転、そうと解釈しつつある自分の判断や価値観の下敷きが、

 “…あかんわ。戦時中の勘兵衛様全肯定モードになっとぉ。”

 あかんあかんと首を振りつつ、それでも口許には笑みが絶えない。きっと要領の良くない選択に違いないのに、きっとどこかで余計な苦労をするしわ寄せが来るのに、そういうところが判っていつつも、痛快で爽快でたまらない。だから、あの人には何処までも付いてきたくてたまらなかったし、そんな勘兵衛の指揮する部隊において、彼からの信頼も厚い“双璧”などと呼ばれたのが、どんな栄達よりも誇りだったことまでも、思い出しての苦笑が洩れる。

 “あ〜あ、やな。”

 一人でぼーっとしているとロクなことをば考えぬ。鋭気を養うのもこのくらいにしてと、オーシャンビューが売りの明るいカフェの、窓辺の席から立ち上がりかかった良親だったが、

 「丹羽、良親さん。」
 「…はい?」

 今日のお務めは、完全に表のお顔での仕儀であり。錦秋宴の販売促進関係の取引交渉の詰めがあっての上京で。来年一月のっけ、某ホテルにて結構な規模の国際会議が開かれるのだが、その後に催される予定の晩餐会に当社自慢の吟醸酒はいかがという売り込みを、若社長が直々に進めていたそれ、本日めでたく契約成立の運びとなったため。契約書を取り交わし、今後ともご贔屓にというご挨拶、署名と共に外務省関係の外郭団体の折衝担当のおじさまへ 念押すように振り撒いて来たばかり。こちらにも一応は設けてあった事務方担当の支社の人間と、関係書類や今後の進行を任せて それで。社長としての任も果たしたと、言ってみれば隙だらけの状態にあったには違いないながら。それでも…そうまでの間近に人が寄っていたならば、警戒するにしても無視して流すにしても、もっと早くに気づいていた筈だのに。掛けられた声でやっと気づいた その気配とあって、自分の迂闊さと…それのみならず。同時に、相手の周到さをも実感する。自惚れて言うのじゃあないが、西方の総代、須磨の支家を預かる身でありながら、なのに護衛も連れずの単身で上京しているのは。気ままな性分だからという我儘、通すに適うだけの武芸への実力も持っているからで。相手がさして訓練も積まない 素人のチンピラ程度なら、乱暴な振る舞いをしたようには見せぬまま、5、6人を瞬殺出来る自信もある。

 “…いや、まさか任務外でそんな物騒なことまでしぃへんけどな。”

 そんな余談もさておいて。唐突な声掛けへハッと我に返っての、それから。一気に集中を研ぎ澄まし、相手へ素早く視線を投げたところまで。くだくだと並べたのが追いつくのももどかしいほどの一瞬のことだったのだが、その動作反射の素早さへ…現状への理解という頭脳の反射が追いつくのに、

 「…………。」

 この彼には珍しくも、数秒ほどもの間合いがかかってしまったのは。そこに立っていたのが、予想だにしない人物だったから。

 「どうした。先日のように愛想を振ってくれぬのか?」

 横浜のベイエリアに立つ、瀟洒なホテルの展望ラウンジ。海の藍を飽かず眺めているには最適だろう、年の瀬のせわしさを一切寄せぬ、静かで落ち着いた空間へ。そちらもやはり、ことりとも音立てぬまま、忽然と現れたその人は。

  「銀…雲居さんやないか。」

 冬の柔らかな陽射しに照らされているせいか、淡い金色に見えなくもないが。それはそれは見事な銀髪を、いつだってしゃんと張った背へ垂らしている彼女だと知っている。髪やら肌やら、当人の淡い色合いを尚のこと冴えさせる、濃色でシャープなデザインに仕立てたスーツにその痩躯を包み、そりゃあ誇らしげに胸張って、良親のゆく手を阻むかのよに立ち塞がっておいでの彼女こそ。昨日からこっちの頭痛の種に付随するお人、あの七郎次少年の主治医であり、同時に六葩殿の左腕でもある練達の女傑。雲居銀龍という外科医の先生であり…良親にとっては前世での上官だったりもするのだが。

 「何でアンタはんが ここへ。」

 知己ではあるが、微妙に意外な人物でもあり。突然のお出ましだということも十分な驚きではあったが、良親の場合はその前にもう1つほど、解せないだけじゃあない捨て置く訳には行かない点が一つほどあったりもし。

 「……何でまた俺の居るトコが判ったんですのん?」

 こちらを見やる表情や態度に、偶然通りかかっただけとは思えぬ雰囲気がある。そも、たまたまという遭遇だったなら、わざわざ気配をひそめて近寄る必要などなかろうに。そして…くどいようだが、今の自分は 特務の最中という身の上じゃあない。神戸在住の丹羽良親という、単なる造り酒屋の若主人にすぎないが。実をいえば、特殊な肩書と活動を、その筋には重々知られ、恐れられてもいるという特殊な一族に属す、しかも主幹級の人間であり。よって、世間は狭いななんてこと、安直には思えない思考回路も持っており。

  ―― 倭の鬼神とも呼ばれる“絶対証人”を輩出する、証しの一族

 看過出来ない悪事や非道。とはいえ、国家や連合体などという公的な権力や勢力では、制止や牽制に乗り出せばそれが侵略にあたったりするがため…などという、大人の事情から手出しのかなわぬ事態に限り。何処の誰とも名乗らぬまま、こっちも同じほどの力づく、若しくは ずば抜けた技量の限りを叩き込み、最低限の“事態の改善”へ運ぶよう、尽力惜しまぬ働きを繰り広げる組織であり。

 『今ここで、我らの手にかかって壊滅の憂き目を見ますか?
  それとも 公明正大に、
  白日の下で“我々が非道を成しました”と宣言して裁かれますか?』

 ここで成敗されますかと、大上段から死刑宣告つきつけるよな、こっちも立派な非合法な活動をこなしているがゆえ。その存在は、決して明らかには出来ないし されない。映画やドラマじゃあるまいに、そんなものが現実にあるものかと 頭から信じぬ人の方が多かろが、それでも油断は禁物で。暴力の肯定を避ける意味からも、その存在の事実、世間へは厳重に封されており、そうそう他言されてはならぬもの。だってのに、

 『鬼神の手下か?』

 こちらの女性は、選りにも選って そちらのお顔で接した相手。今とは逆で、彼女の前へと立ち塞がった良親だったのへ、彼がそんな秘密を持つ組織の人間だということも既に知っていた銀龍だったし、その上で…結構な怪我を互いに負い、痛み分けとなったほどの凄絶な立ち合いもこなし合った御仁。だからこそ、そうそうそこいらで出会っては不味い相手だってのに、

 “いやまあ、そこはな。
  こっちもメアド訊いたりしとぉほどの、関心寄せては おったことやし。”

 …そういや そうでしたね。ならば、気安く声を掛けられることも有りではありますか。とはいえ、それはあくまでも こちらから相手の居場所が割り出せるという話に過ぎず。なんでまた素人なはずの彼女の側に、こちらの行動範囲が割れているのか。

 “今日も出来るだけ逢うことのないようにっちゅう方向で、
  こっちこそ行動範囲 確かめてから動いとぉのに。”

 こんな風にかち会うことのないようにと、今日の彼女の出勤状況をざっと浚い、大学病院近辺や自宅周辺に限られそうだなと、行動範囲も押さえて来たはずなのに何故?と。情報収集や管理こそ専門分野とする身なればこそ、そこへの不意まで突かれたこの運びが不思議でしょうがなかった良親だったのだが、

 「ああ、それな。」

 訊かれた銀龍女史の方は、あっけらかんとしたもので。

 「あの如月という坊やが、メアドを訊いてきた折に、
  それとの交換としてお前様の携帯の在り処が判るGPS探査のサイトへの
  パスワードを教えておいてくれたからだ。」

 “なに考えとんじゃ、あんのクソガキが〜〜〜ッ!”

 北欧のどこぞかの皇太子みたいな風貌で、その言葉づかいはおよしなさいってば。
(苦笑) ちなみに…勿論のこと、証しの一族の人間としての務めに掛かっている間は、接続切ってますってばと。後日の言及へ、いけしゃあしゃあと言ってのけた如月くんだったのは言うまでもなかったりし。

 「安心しろ。関東地域限定だそうだ。」
 「……さいでっか。」

 大方、日頃からも単身でちょろちょろと上京している浮かれトンボぶりに手を焼いた、執事頭の山崎さんとかお目付役の惣右衛門さんあたりが仕掛けた処置を、こちらの女史への傾倒ぶりを案じた征樹さんがちょいと拝借しての、策を構えたってところじゃあないかと。

 “こういう怖い秘密兵器持っとぉ おネエさんやから、
  ひょいひょいと近づくのんは控えぇてか?”

 あちらの彼は“転生人”ではないはずなのだが、かつての相棒と同じレベルでこちらの鼻面、上手に押さえて下さるから困ったもので。二世代分の蓄積持っていても形無しだった結果へと、がっくり肩を落として見せつつも、

 「……で? 何んか御用で?」

 まま、遊び相手の知己として、数のうちに入れられたくらいなら支障もないかと。気を取り直しつつ、あらためての訊いてみたところが、

 「なに、先日、見ず知らずの女性から恋文を預かってな。」
 「……………はい?」

 封筒の裏書も女性の名前だったから頼まれたものじゃあなさそうでな。だが、私の周辺には、そのように“お見初めしました”と思い詰めた異性から恋心を告げられるよなレベルの男はおらぬ。

 「……きっぱりと言わはりましたな。」
 「これでも審美眼には自信があるぞ?」

 にっぱり微笑いつつ、お顔のすぐ傍へ ひょいっと持ち上げられた手の先には、薄桃色の小ぶりな封筒が一通。きれいな指先へと挟む格好で、取り出したそれをかざして見せると、

 「とはいえ、そういや一人ほど、
  見目麗しくて一目惚れされそうな御仁が、
  先日 傍らにいたこともなくはなかったと、思い出したのがお前様での。」

 成程、そうやって一緒にいたところを見ていてのぼせたお嬢さんならば、連絡取る手段は私しかいないと思っても不思議はなかろうと。

 「…物凄い豪快な断定法やな。」
 「あながち間違ってはおるまいよ。」

 さっき言ったGPS探査では、おおまかな位置しか判らぬのだが。

 「此処へと近づけば近づくほどに、
  通りすがる女性たちの視線が、
  お前様の位置をそりゃあ正確に導いてくれていたからな。」

 淡色の双眸を眇めての、冷やかし半分だと判る意地の悪い笑いようさえ、ああ懐かしいなと胸に染み入る。その身に備わっていた鋭い先見の能力を請われ、女性でありながら前線部隊への配属を強いられた“千里眼の巫女様”は、その手が血に染まったのがいけなかったか徐々にその能力は薄まってしまったが。それでも、大将格の男らに負けない身ごなしと武力もて、部隊一つ任されるまでの身へと上り詰めた変わり種であり。かつての自分が、あちこちの遊里で片っ端からというノリで女に手を出し続けたのも、この美姫の透徹な佇まいに魂奪われたせいなのにね。勇ましさに偏ってのことか、色の道にはとんと関心示さなかった、闘神とまで謳われた君は。されど…淡い月影思わせる美しさも、その横顔へたたえておいでで。

 「案外と、あんたへの恋文かも知れへんで。」
 「そんなことがあるものか。」
 「なに言うてはるかな。
  売り出しの太夫らから、いっつも山ほどの艶文もろてはったや…、」

 何を言い出しかけた自分かと、ハッとし我に返った良親だったが。何かしら取り繕おうとするより先に、

 「……医者の息子だったのはお前様の方だのにな。」

 陽を浴びての霞むような笑みをみせる銀龍なのへと気づいて…息を飲む。冷然とした態度や果断な言動を厭わぬ女傑は、だが。大切なものを傷つけ失ったおりには、よくこんなお顔をし、泣くに泣けぬ身の置きどころに困っていたっけ。

 「もしかしなくとも、とうに気づいていたのだろ?」
 「……。」

 白々しくも“何を?”と訊けば、気づけなかった負い目のあることへ、更に塩を塗ることとなりかねぬ。女好きなのは、女性に弱いことの裏返し。それでなくとも、既にこちらの手札を見せ過ぎてもおり。これ以上は、粘ったところで ただただ見苦しい悪あがきにしかならぬだろ。何よりも、昔 焦がれた美しい剣の君が、気づけなかった自身を責めてのことだろか、何とも言えぬ切なげなお顔になっているのが居たたまれなくて、


  「……ええ。淡月様だと、気づいておりましたよ。」


 だからだから、泣き出さないでと。降伏の態としての白旗代わり、席から立ち上がっての立ち尽くす君へと身を寄せて、潤みかけてたその双眸へ、ハンカチを添えていた良親だったりするのである。




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